みなさまこんにちは!
多摩川ホールディングス桝澤徹です。
10月、神無月ですね!
出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様がいなくなる、その為10月は“神無月”。神様方はどんなお話をされているのでしょうか^^
それでは本日ご紹介させていただきます
グルメの歴史は!
◆味噌汁の歴史
味噌汁が庶民の食卓に登場したのは室町時代の頃と言われている。元々は田舎料理で主に農家などで作られていたものであったが、時期が経つにつれ様々な階層にも次第に普及し、やがて日本人の食卓に欠かせないものになる。
調理が簡単で大量に作れる味噌汁は戦国時代に陣中食として考案されたとする説がある。里芋の茎を味噌で煮しめた芋がら縄は、ちぎって陣笠に入れて熱湯をかければ簡単に味噌汁ができる陣中食だった。石田三成は、「熱湯に焼き味噌をかき立てて飲めば、終日米がなくとも飢えたることなし」と語ったとの言い伝えがある。陣中食としての味噌汁は、むしろご飯に味噌をかけて湯を入れたものであることも多く、元々「汁かけ飯」だったものが、後にご飯と味噌汁の組み合わせに変化していったとも言われる。各地に残る味噌には、戦国武将の考案によるものとされるものがある(上杉謙信の越後味噌、伊達政宗の仙台味噌など)。
江戸時代においては、ほぼ全ての家庭の食卓に普及した。庶民にとっては、ご飯・味噌汁・漬け物の組み合わせが、一般的な食事スタイルの基本となった。これに副食が1品つくと、一汁一菜となる。江戸市中においては、毎朝売り歩く物売り(「シジミ売り」「納豆売り」)から味噌汁の具を買い、朝食時にご飯と共に食べられていた。そして朝食に限らず、食事の時の白米のご飯の付け合せの汁物として食べられている。
また、味噌汁の味付けの元となる味噌は、元来は豆を塩漬けした保存食であり、そのままつまんで食べるものであった。味噌が保存食から調味料へと性格を変えるのは、味噌汁の普及による所が大きい。
現在に至るも、日本人の食に一番密接している料理ともいえ、欠かすことの出来ない存在である。例えば飲食店における定食の多くが、ご飯、味噌汁、そして副食の組み合わせを基本としている。
多摩川ホールディングス桝澤徹
PR