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桝澤徹(多摩川ホールディングス)とグルメの歴史

多摩川ホールディングスの代表の桝澤徹です。 様々なグルメの歴史をご紹介致します。

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クリスマスケーキ

多摩川ホールディングスの桝澤徹です。
今年も後数週間……今年のうちにやっておきたいことはそろそろ片付けてしまいたいですね。

今回はもうすぐクリスマスということでクリスマスケーキです。
日本のクリスマスケーキの歴史は、菓子メーカー不二家創業の1910年まで遡るそうです。現在も食べられているスポンジケーキにホイップクリームやバタークリームを塗り、砂糖細工のサンタクロースやクリスマスツリー、イチゴやチョコレートを飾りつけたものは不二家が広めたもののようです。
日本以外だとイタリアのパンドーロやフランスのビュッシュドノエル、イギリスのクリスマスプティングもクリスマスのお菓子として有名ですね。

多摩川ホールディングス桝澤徹
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カステラ

みなさまこんにちは!
多摩川ホールディングス桝澤徹です。

どんどん寒くなっていますがみなさまいかがお過ごしですか?
この時期、特に体調を崩さないよう気をつけたいですね。



今日はカステラの歴史を紹介します。

名前の由来は一般的にはスペインのカスティーリャ王国(Castilla)のポルトガル語発音であるカステーラ(Castela)と言われている。
また、異説として、カステラ製造過程でのメレンゲを作る際、高く高く盛り上げる時「お城(castelo)のように高くなれ!」と言ったことから、カステロ=カステラ、となったという説もある。
いずれにせよ、パン・デ・カスティーリャ(pão de Castela、カスティーリャ地方のパン)や、ビスコチョ(元は乾パン状の船乗りの保存食だったが、16世紀末頃、柔らかく焼き上げるレシピが生まれている)が由来とされる。
ポルトガルの焼菓子であるパン・デ・ロー(pão de ló)が製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説も有力である。
また、これらの原型は、中国の点心の一つであり、マレーの地名を関する「馬拉糕」や、沖縄の「鶏卵糕(ちいるんこう)」と呉方言のような読みをする蒸しカステラ類と共通する可能性も考えられる。

江戸時代には菓子製造の盛んだった江戸・大坂を中心にカステラの日本化と、カステラを焼くための炭釜の改良が進められたそうですよ。


多摩川ホールディングス桝澤徹

味噌汁の歴史


みなさまこんにちは!
多摩川ホールディングス桝澤徹です。

10月、神無月ですね!
出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様がいなくなる、その為10月は“神無月”。神様方はどんなお話をされているのでしょうか^^


それでは本日ご紹介させていただきます
グルメの歴史は!


◆味噌汁の歴史
味噌汁が庶民の食卓に登場したのは室町時代の頃と言われている。元々は田舎料理で主に農家などで作られていたものであったが、時期が経つにつれ様々な階層にも次第に普及し、やがて日本人の食卓に欠かせないものになる。

調理が簡単で大量に作れる味噌汁は戦国時代に陣中食として考案されたとする説がある。里芋の茎を味噌で煮しめた芋がら縄は、ちぎって陣笠に入れて熱湯をかければ簡単に味噌汁ができる陣中食だった。石田三成は、「熱湯に焼き味噌をかき立てて飲めば、終日米がなくとも飢えたることなし」と語ったとの言い伝えがある。陣中食としての味噌汁は、むしろご飯に味噌をかけて湯を入れたものであることも多く、元々「汁かけ飯」だったものが、後にご飯と味噌汁の組み合わせに変化していったとも言われる。各地に残る味噌には、戦国武将の考案によるものとされるものがある(上杉謙信の越後味噌、伊達政宗の仙台味噌など)。

江戸時代においては、ほぼ全ての家庭の食卓に普及した。庶民にとっては、ご飯・味噌汁・漬け物の組み合わせが、一般的な食事スタイルの基本となった。これに副食が1品つくと、一汁一菜となる。江戸市中においては、毎朝売り歩く物売り(「シジミ売り」「納豆売り」)から味噌汁の具を買い、朝食時にご飯と共に食べられていた。そして朝食に限らず、食事の時の白米のご飯の付け合せの汁物として食べられている。

また、味噌汁の味付けの元となる味噌は、元来は豆を塩漬けした保存食であり、そのままつまんで食べるものであった。味噌が保存食から調味料へと性格を変えるのは、味噌汁の普及による所が大きい。

現在に至るも、日本人の食に一番密接している料理ともいえ、欠かすことの出来ない存在である。例えば飲食店における定食の多くが、ご飯、味噌汁、そして副食の組み合わせを基本としている。




多摩川ホールディングス桝澤徹

ホットケーキの歴史

みなさまこんにちは!
多摩川ホールディングス桝澤徹です。

先月末から台風14号、15号、16号と非常に大型の台風が発生していますね。
関東は水不足が懸念されている様ですが、西日本は台風による豪雨や、ゲリラ豪雨など雨の日が多いと聞きます。外出の際は十分にお気をつけ下さい!

それでは本日ご紹介させていただきます
グルメの歴史は!


◆ホットケーキの歴史
粉と水、燃料、パンケーキを焼く金属製や石製の表面があれば簡単に作れるため、その歴史は古代エジプトまで遡るといわれる。

英語圏では古くから脂の火曜日(灰の水曜日の前日)にパンケーキを焼いて食べる習慣があるため、この日をパンケーキの火曜日と呼ぶ習慣がある。フランスとカナダの旧フランス領では主の迎接祭(2月2日)にクレープを焼き、ロシアでは灰の水曜日の前のマースレニッツァ(バター週間)にブリヌイを焼いて食べるなど、ヨーロッパでは早春の行事にパンケーキが関係していることが多い。

フィンランドではキリスト教の断食の前日によりパンケーキと豆のスープを木曜日に食べる習慣が一部にある。

アメリカ英語の慣用句「Selling like hotcakes(ホットケーキのように売れる)」は、「飛ぶように売れる」の意味である。

日本においては明治30年代初頭に雑誌で紹介されたのが最初といわれており、1914年(大正3年)に東京・上野にて現在と同様のホットケーキのようなドラ焼きが誕生したとされる。

戦後しばらくはドラ焼きとホットケーキは混同されていたようであり、長谷川町子の漫画『サザエさん』にてサザエが「ドラ焼きを焼く」と言ってホットケーキを焼いていたシーンが描写されている。



多摩川ホールディングス桝澤徹

ホットドックの歴史

みなさまこんにちは!
多摩川ホールディングス桝澤徹です。

9月に入りましたね。
9月に入って少しは涼しくなった地域もある様ですが、それでも日中はまだ暑いですね。朝晩とで気温の変化もあるので、季節の変わり目は体調を崩さないように皆さんお気をつけ下さい。

それでは本日ご紹介させていただきます
グルメの歴史は!


◆ホットドックの歴史
熱いソーセージをパンに挟んで供するという工夫はドイツからやってきた移民達によって伝えられたと考えられている。アメリカ合衆国に於いて広まるきっかけを作った人物はコニーアイランドで屋台を開いていたチャールズ・フェルトマン(フェルトマンの使用人のネイサンが始めたホットドッグスタンドがネイサンズである)や、ポロ・グラウンズの売り子であったハリー・スチーブンス等諸説あるが定かではない。いずれにせよ19世紀後半のニューヨークではこのような形の食べ物が認知され、様々な場所で販売されていたことは間違いのないところである。

アメリカ合衆国では1人当たり年間60本を消費していると言われ、国民食の代表として位置づけられている。特に野球観戦とホットドッグの繋がりは深く、ドジャー・ドッグ(ドジャー・スタジアム)、フェンウェイ・フランクス(フェンウェイ・パーク)など、野球場にはそれぞれ名物とされるホットドッグがある。

1916年より、毎年7月4日にニューヨークに於いて「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」が開催されており、2001年から6連覇を果たした小林尊など日本からの参加者が上位に入賞することがある。



多摩川ホールディングス桝澤徹

プロフィール

HN:
桝澤徹
性別:
男性
自己紹介:
多摩川ホールディングスの代表の桝澤徹です。

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